大阪の「消えた球場」…野茂も投げた “藤井寺球場「今は何がありますか? 「最後の近鉄戦士 “を知っている16年前のその日 – プロ野球 – Number Web

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大阪の「消えた球場」…野茂も投げた “藤井寺球場「今は何がありますか? 「最後の近鉄戦士 “を知っている16年前、その日

投稿2020/12/23 11:05

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1993年藤井寺球場で開幕戦を完投で飾ら笑顔で鉱山と石井(右)と握手する野茂

文字

鼠入明仁

鼠入明仁Masashi Soiri

プロフィール

盟友戦士が、最終的に一人になるという。 2004年を最後に消滅した近鉄バファローズのユニフォームを着た経験のある現役選手(NPB)は、次のシーズンからヤクルトの坂口智隆だけになる可能性が高い。 近鉄消滅すでに16年経ってから、盟友の戦士が現役で残っているだけでも、すばらしいのようなほうがいいかもしれない。 坂口は2020年シーズンもレギュラーで114試合に出場した。 来年以降もたった一人の盟友戦士に頑張ってくれるだろう。

そんな坂口が近鉄のユニフォームを着て最後の戦いは、2004年9月30日。 ウエスタンリーグプレーオフ中日前だ。 1番左翼手で先発出場し敗北はしたが、2安打1打点の活躍を見せている。 そして、この試合が行われた球場は、今ではない藤井寺球場である。 近鉄バファローズの本拠地として長い間愛された藤井寺球場での最後の「近鉄前」。 そして藤井寺球場近鉄の消滅と役割を終え、いつの間にかその名前を聞くことができなくなった。 一体藤井寺球場は今どうなっているのだろうか。

藤井寺球場今は何がありますか?

だから、近鉄南大阪線の藤井寺駅に来た。 大正時代には、この区間に鉄道が通過するときに開業した古い駅である。 今藤井寺市を代表する役にあべのハルカスのふもとから近鉄南大阪線普通列車のほとんどがこの駅で折り返す(つまり近鉄ユーザーに「謎の終着駅」もわけだ)。


藤井寺市は大阪市の南東、いわゆる「ウォッチ」に位置する市。 東京の人間では見知らぬ土地。 突然藤井寺球場を目指したいが、まず藤井寺駅の近くの距離を見たい。 だから逆南の商店街を少し歩く。 訪れた平日の午前だったこともあってか、ほとんどの店にシャッターが降りていて、影が疎ら。 そして、その商店街を抜けたところで、何か人が集まっている一角があった。

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Okano Akemi

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