昨シーズンのドラフトで中日誰を1位指名したり、密かに期待していた。
ドラフトで2週間ほど前にスカウトされ、今年で20年目を迎える中米村明(現シニアスカウト)で悩む内情を聞いていたからである。
「能力なら佐々木朗希(当時大船渡ロッテ)が断然とる。ジャパンのキャッチャーすら取れない真っ直ぐを投げる投手なんてそうない。そこだけならば佐々木指名に違いない。しかし、現地では恐ろしい強打者がやっているじゃない。石川昂弥(当時東方中日)。それは放っておくことができない。一方、現場で左利きが欲しいとかえって次に河野リュウセイ(当時JFE西日本、日本ハム)が番号ウォン奥恭伸(当時星稜ヤクルト)も当然候補の最後のの最後まで家でもめてみましょうね」
「実力が同じくらいなら地域を選択し、「
子供に本社を置く中日は地域東海地域の選手を重視している。 一昨年は球団の総意として岐阜県出身のネオ昂獲得に執念を燃やした。 昨年東海地区に近い北信越の奥リーディング憶測が立ったが、素材NO.1の佐々木現場の声も念頭に置いた中で悩み抜い草案であった。
結局、「実力だけなら地域を選択し、 “信念を貫き、佐々木、オクチル河野はなく、石川の指名を断行した。
ドラフトでは、各球団このような悩みが最後まで繰り広げられる。 場合によっては、選手の担当スカウト同士の鍔迫り合いも開かれるほどだ。 こちらの選手を指名しなければならない。 いや、こちらだ、と。 そして指名された選手の人生は分かれていく。
豊作だった “ハンカチ草案」
そんな中、私の一番の運命を左右したのが2010年のドラフト会議である。 世界でも「ハンカチドラフト」と騒が話題の年だった。
1988年度に生まれた選手が大学4年生を迎えたこの年は、早稲田大学の三匹ガラス、斎藤佑樹(日本ハム)、大石達也(前西武)、福井優也(楽天)を中心に、中央大沢村拓一(ロッテ) 、東海イタリア志嶺翔太(ロッテコーチ)仏教大学の大野雄大(中日)などが1位候補と目された。
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