阿部の辞任会見を照らす巨大なスクリーンと無関心の人(8月28日、東京)Kim Kyung-Hoon-REUTERS
安倍政権の7年8ヶ月、少なくとも保守派には「絶望と挫折」で終わり。 2012年の民主党野田政権で開かれた自民党総裁選で石破シゲルウル破っ総裁が安倍新総裁は「尖閣に公務員常駐」と「竹島の日行事政府主催」を掲げ、実際には同じ年衆議院選挙で自民党政策集でこれ明記した。
2012年当時、私は29歳の右翼だった。 私を含めた右派・保守のほとんどすべては、これまで民主党政権と歴代自民党政権でも実現することができなかったこの二つの公約を切望した。 しかし、竹島の政府主催の行事は、第2次安倍政権発足直後撤回尖閣に公務員常駐はうやむやにされて、2017年になってようやく、安倍首相自身の口から「現在はそのような選択を採用していない(衆院予算委員会)」に正式に完全に撤回された。
1次安倍政権の約1年の短命から本格的なタカ派保守政権の誕生を期待していた私たちの保守派は政権誕生早々から成るが撤回措置や放置措置に対して不満あった。 しかし、「まず、自民党政権が誕生しただけでもよいとするものである」という意見がほとんどで、公約撤回時の不満は封印された。
次の保守派は、タカ派的な価値観の持ち主であった安倍首相が河野・村山談話の撤回ないし見直しを熱望した。 保守派に従軍慰安婦問題に日本軍の関与を認めた河野談話は許可されず、先の大戦で日本の侵略の側面を痛切に反省した村山談話も乗るべき対象に映ったからである。
阿部歴史の修正を要求した保守派
しかし、保守派のこのような怪気炎を私目を覚まし、目で見ていた。 秦郁彦などによる実証史学を介して「日本軍による婦女子をトラックに打ち入れ」という強制連行は疑いましたが、従軍慰安婦の存在は事実であり、戦後の日本は反省する責任を負う。また、先の大戦で日本が南方作戦と呼ばれ、アジアのリソース地帯を掌握するために軍事行動に出たのは事実であり、侵略的な側面を否定するのは無理筋である、と考えていたからである。
事実安倍内閣は、河野談話の検証を実施したが、河野談話を撤回することはせず、また、村山談話について検証自体をせずに、2015年の前後70年談話で河野・村山談話を踏襲今後の戦争のために日本の誤った国策を認め談話を発表した。 私は「安倍晋三は歴史修正主義者として知られているが、談話を見る限り臭いは戦争への反省をしてなかなか検討した」と思った。 しかし、保守派のジュンチュイ河野・村山談話を踏襲した阿部前後70年談話に相当不満だった。
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